先日香川民医連の県連臨時総会が開催されました。年に1回開催され、高松平和病院も所属する香川民医連の活動方針や決算・予算を検討する場です。
記念講演として、濱田郁夫さん(太平洋核被災支援センター:元室戸市中学校教諭)の「ビキニ事件から、核廃絶への扉をギ~ッと」では、隣県高知県・室戸市のマグロ漁船第五福竜丸の被害から話を起こし、当時室戸で操業していた160隻のうちの大半がそのときに近海を航行していました。そのために明るみにはなっていませんが、多くの漁師(成人男性の6倍)が癌に罹患したとのこと、それらを早期決着として日本政府とアメリカ政府の金銭のやりとりでもみ消されたそうです。日本では核の被害は1945年で終わっているようにとらえることが多いですが、世界的な核被害・核開発は1945年から始まっている、とする指摘は新たな発見でした。広島・長崎以外の核被害、運動を起こすこと・続けることの大切さ、平和とは自らの手でつかみとらないといけないもの、などなど短い講演の中で多くを考えさせられました。
その後、香川民医連のこの1年の振り返りと次の1年の活動方針について議論しました。
この1年は平和を希求する運動を背景に平和病院前に9条の碑が建設されました。また、経営や人材不足で悩まされた1年でもありました。この1年は戦後・被曝80年であり、さらに大きく平和の運動に取り組むこと。病院・事業所運営にも力を入れ、医療業界はしばらくは厳しい環境が続くことが予想されますが、そんな中でもここでがんばりたいと思う人が増えていくような、人づくりが中心の組織文化になるよう尽力していきたいと思いました。

ビキニ事件の運動をきっかけに1955年に開催された第1回原水爆禁止世界大会