Vol.106

ケアの倫理による職場づくり学習会

10 月 3 日に岡山県労働者学習協会の長久啓太さんによる「ケアしあえる職場・組織づくり 実践編」のオンライン講座を整形外科待合とオンラインで管理部を中心に 11 人が受講しました。

ケアの考え方や意味を明らかにした後に、実践的にはなにをしたらよいか、ということが学習会の主軸でした。まず、「ケア」の意味を改めて考えると、ケアとは2つの意味からなる言葉でした。①介護・看護・保育などに使われる、生存や尊厳に関わる様なニーズへの応答という意味と、②気遣いや手助け、サポートといった誰もが日常で受けている行為を意味するものと。ケアの倫理というときは後者の意味合いであり、このとき、職種的なケアワーカーというよりは、そもそも人がいるところ、特に職場や組織では、ケアがあり、依存関係が埋め込まれている・内在化されているところにまずは気づかされます。それはなかなか見えにくい(かもしれない)し、ケアをする方は大きな声では言えず、されている方はされて当然のような態度をとっているかもしれません。

職場とはそもそも、傷つき、傷つけやすい場所であり、そこにケアに満ちた環境にすること、「そこにケアがある」ことを日々実感することからまずは始めたいと思いました。自分自身は 1 日 1 回「ケア」と言葉に出すこととします。

各職場で「ケアの倫理 café」の学習がされていますが、9月号のテーマが「経営とケア実践」でした。経営が厳しい昨今の医療業界、各職場ともギリギリの人員で仕事を回さなければなりません。育児や介護、その他の事情で育休や時短勤務など働き続けられる制度も徐々にできてはいますが、それがうまく回っているかどうかは現場任せになっている現実もあります。café での語りはそういったモヤモヤを共有する取り組みであり、少しでも現場改革の糸口になればと思います。先日の学習会では、ケアをするには「余裕・ゆとり」という資源が前提である、その資源が奪われる資本主義社会のあり方をケアの視点から構想しなおそうとの呼びかけもされています。ケアとは温かみのある言葉であると同時に、たたかう意志表明でもあるのです。

ケアの倫理を特集する民医連新聞

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