先日全日本民医連第2回評議員会が行われ、その冒頭で、ノーベル賞を受賞し、ノルウェー・オスロで受賞演説を行った田中熙巳さん(92歳)の講演を聞く機会がありました。現在の被爆者の平均年齢は85歳になっており、被爆者の実際の体験を肉声で聞く機会は本当に減りました。長崎市で被爆した当時13歳だった田中さんは二人の伯母を探しに爆心地に入っていったそうです。そこで見た光景から始まり、被爆者が行ってきた運動や日本政府が死者に対する補償を拒んできた歴史を語りました。そして、最後に今後被爆者はあと10年もすれば直接の被爆体験を語れるのはほぼいなくなってしまうが、次の世代が工夫して核廃絶の運動を引き継いでいくことを期待していると結びました。
そして、地元香川の今月の革新懇ニュースをみると、当院の事務OBである、松永始さんのインタビューが掲載されていました。香川で行ってきた被爆者運動の歴史を時代背景とともに証言されていました。1966年に平和病院に入職し(当時の職員は約30人)、その年の原水禁世界大会に参加し、香川での運動を長い期間かけてつくっていったそうです。
中でも、1969年に第1回自主的被爆者集団検診を始めた苦労話やそのときにもらった被爆者からの感謝の言葉、そこから少したって前川革新県政が誕生した1974年の翌年に民間病院で初めて原爆医療法による希望検診、その後の原爆症認定指定病院、精密検診指定病院の獲得などにつながっていったことなどが述べられています。
全国の被団協の運動も、香川県内での先輩たちの運動も、決して自然に沸いてきたものではなく、活動の主体者がいて運動を巻き起こしてきたこと、そして、政府や県政に働きかけた結果補償を勝ち取ってきたことがわかります。
被爆80周年の今年、世界や日本政府に核兵器を絶対に使わせないために、戦争反対、社会保障を充実させよの声を集めていきたいと思います。