Vol.65

「ケアの倫理」~ケアに満ちた民主主義

最近、ジェンダーの視点を学問的に裏打ちする理念として、「ケアの倫理」が存在感を増してきました。

ケアとは、育児・教育・家事・介護といった、これまでの社会では家庭のこと・私的なことということで、主には女性が担ってきました(歴史的には奴隷や外国人労働者が担ってきました)。

母性や愛の自然の発露である育児や介護は労働ではなく、女性が無償で担うべきであるとされてきました。対して、社会の表舞台である政治の担い手は男性を中心とする権力者であり、その成人男性の多くはケアの経験がありませんでした。

このことが社会でより強く問われるようになったのは、2020年2月のコロナパンデミック初期の学校の全国一斉休校要請が出てからのことでしょう。学校に預けられなくなった子どもたちは誰がみるのか、について何の検討もなされないまま政府が突然決めてしまったので、いわゆるエッセンシャルワーカーで育児も担っていた、主に女性労働者はパニックに陥りました。その政治決定を行った権力者は「誰がケアを行っているのか」についての想像力がなかったと言われる所以です。

これらの経験の中から、「ケアの倫理」は、資本主義・儲け中心の社会構造から、ケアを中心に置いた社会に変えていくことが必要であると問題提起しています。ヨーロッパでは、ケアの責任分担を見直し、女性が労働市場で活躍できる条件整備を政治がすすめました。現在の日本では育児、介護、教育などの分野にも資本主義の論理が持ち込まれています。儲かる分野とみれば企業が手を出し、採算がとれないとみるや一気に手を引いてしまい利用者が路頭に迷う、ということが現在において珍しくありません。

誰もがその人らしく働ける、暮らしていける社会をつくるために、課題は多いですが、私たちの組織が率先して取り組めていけたらと思います。