Vol.49

4年ぶり開催の病院長会議 ~どうする院長 を交流してきました

コロナ感染流行が下火になっており、当院の医師はじめスタッフも県外の研修・出張に制限なく出て行っています。 私もなんらかの出張の機会を窺っていたのですが、先日、全日本民医連の病院長会議が4年ぶりに開催されるということで参加しました。

きたるべき診療報酬改定に向かっての作戦会議が行われるとかではなく、全国の民医連の病院長が共通に抱える悩みや苦しみ、また、やりがいを交流する貴重な機会で2年に1回開催されます。今回は全国に約160ある民医連所属の病院のうち、74人の病院長が集まりました。

いくつかの講演と報告があり、いまの問題意識に合致して大事だと思ったことをいくつかあげます。

①各層のスタッフとのコミュニケーションをいかに円滑にしておくか。毎日の仕事の回り具合もさることながら、リスクを先回りしておくことができる。

②病院や組織のミッションを繰り返しスタッフに語り、病院のポジショニングを明確にし、地域と住民、患者さんに一心に向き合う。

③顔を広くしておき、院内・院外で代表の役割を常に自覚する。

④(一人で、ということでは決してないが)病院長は決断の連続、正しく的確な判断をしなくてはならない。

特に、④は現在の大河ドラマ「どうする家康」にちなんで、「どうする院長」のスライドを作っている演者が二人いて、みんな考えることは一緒なのだと思いました。

掘り下げると、家康は幼少期は今川家の人質からキャリアがスタートしますが、信長・秀吉と上司を変え、最終的には260年続く江戸幕府の開祖となります。キャリアの中でその都度難しい判断を迫られたことがドラマで描かれています。ちなみに次週以降は今川家での人質時代から連れ添った妻(築山殿)とその息子(信康)が家康に殺されるストーリーになっていきますが、いちいち「どうする家康」な展開です。

将来のみえない病院運営、病院資源(ヒト・モノ・カネ)の御し方についてよりよい選択をしていくか、特に当院は病院建て替えの課題が待ったなしに迫っています。都度都度に難しい判断が迫られるときに、なにを基準に判断するか、振り返ってみて、あのときこんなすごいことができたよね、と言われるように日々精進したいものです。

奄美中央病院
平元良英先生のスライドから